2015年4月30日木曜日

レイキ 実践

3月末にレイキセカンドを受け、日々少しずつ実践しています。

最近は遠隔も行っておりますが、相手のエネルギーレベルが下がっているところが何となく分かるようになってきました。(^_^)


遠隔を行う方法としては
・人形を相手にして行う
・施術者は椅子に座り、片足を相手にして行う
などあるようですが、私はもっぱら相手があたかも目の前に横たわっていることを想定して行っています。

私自身は、横になっているか座禅を組んでいるかです。どちらにしろ肩に力が入らないようにしています。


レイキが流れ始めると、私の手も温かくなり、ピリピリしてきます。

ちょっとした滞りがあると、私自身の同じ部分が反応します。

ピリッと来たり、ズキッとしたり、急に冷たく感じたり、空気がたまって膨らむような感じになったり様々です。


ですが、1-2分長めに手を当てていると、スーッと消えていきます。

そして私の身体も安心感で満たされます。母親が赤ちゃんを優しく抱き上げているような、そんな感じです。😊



密かに遠隔モニターさんを募集しています。
30分〜40分、レイキを流させていただきます。
後で感想をいただける方へ無料で行っております。
興味ある方はご連絡ください。(^_^)

2015年4月20日月曜日

「今はガマンしないと...」から抜け出すヒント



津留晃一 メッセージ集より抜粋します。
自分の思考の軌道修正のために時々読みなおしています。

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あなたはどうありたいのでしょうか? 
あなたは何を感じていたいのでしょうか? 
どんな自分でいたいのでしょうか? 

本当は自分は何が欲しいのだろう。
自分の心から望む状態とはどんな状態なのでしょう。
幸せな状態とはどんな状態なのでしょうか?

どんな人も「あなたは輝きたいのではないですか? 
いきいきと自分の生を輝かせたいのではありませんか? 
輝き続けていたいのではありませんか?」
と問うと例外なくそうだと答えます。
 ありたい自分でいればいいのに、
なかなか人はありたい自分でい続けようと
思考を働かせないようです。
「思いは実現します」と言うと、
そんなことは知っていると言います。
ではありたい自分の状態を思い続ければいいのに、
なかなかありたい自分でいることに
時間を惜しみなく割き続けている人はいないし、
その事に意識を向け続けている人もいないようです。
 人から非難されたら、
どうしたら非難されずに済むだろうかと考え、
「非難されないようにすること」に
大切な時間と労力を注ぎ込んでいるようです。
非難されなくなったら輝けると思うからでしょう。
それは人から非難されて輝けなくなってしまった
という経験があるからです。
非難された時しぼんでしまったから、
そのしぼんだ原因を取り除こうとするわけです。
 こうして人はいつもいつも人生の大切な時間を、
苦しみの原因退治に費やしてしまい、
喜びを産み出すことには時間を割きません。
本当に自分のしたいことは輝いていることであるはずなのに。
非難されないために大半の時間とエネルギーを浪費し続けます。
どうか、どの瞬間も、どんな瞬間も、
ただただありたい自分でい続けることに意識を向けて下さい。
好きなことをしなさいというと、
車が欲しいからお金を貯めるといいます。
ではあなたは今お金を貯めたいのですかと問うと、
そうです目的があるから
今は我慢してお金を貯めますといいます。
では今は我慢したいのですかというと、
いえ我慢したいわけではありませんが仕方がないと答えます。
 「仕方がない」、
ここにあなたの固定観念が隠れています。
あなたのジレンマです。
究極の目的を遂げるためには
今は我慢しなければならないとする固定的観念です。
我々の集合意識がこれまでそう思っていたから、
そんな現実世界が今現れているわけです。
 あなたが目的を遂げるのに
何かを我慢しなければ達成できないとする
固定観念はそろそろ手放してもいい時期に
来ているのではないでしょうか。
「今は我慢しないと」とするあなたの思いが、
今は楽しめないという現実を産み出しているのですから・・・。
 我慢して我慢して我慢して、
ついにやり遂げて達成感を味わう。
それもなかなか捨てがたいゲームであることは認めます。
でもこれからは、
今を楽しむゲームに変えてみることもできるのです。
 これが出来ないのは、今楽しんでばかりいたら、
必ず後で泣きを見るという価値観があるためでしょう。
あなたがそう信じているのですから、
そう信じているあなたは必ずそんな体験をすることになります。
 この世には恐い出来事が、
災いのように降りかかってくることがあるのだ
と信じている人には、
そんな体験が待ちかまえているということです。
「でも実際にこれまで多くの苦い体験をした、
だからそれは事実だ」と主張し、
その現実をより強固にしているわけです。
あなた方がこれまで環境から被害を受ける
という体験をいやというほど積み重ねてきたことは
重々承知しています。
 でもそれは過去の記憶です。
創造主であるあなたは
過去からの影響を受けることもできますが、
影響を受けないようにすることももちろん可能です。
どうすれば過去からの影響を
受けずに済むようになるかというと、
あなたが「もう過去からの影響は受ける必要がない」ことを
はっきりと意図し、そう決めることによってそうなります。
 「将来のいつかのために今は我慢しなければ」
という従来の固定的思考パターンを少し疑ってみましょう。
あなたのこの観念は一体どこからやって来たのでしょう。
「もっと勉強しないと立派な人になれませんよ」と親から、
そして先生から教わり、現に社会がそうなっています。
先人からそれを教わり、
そして環境がそれを証明しているからです。
 外部(他人)から伝えられた言葉を検証し、
事実ならそれを受け入れるという
あなたの行動パターンがそこに発見されます。
あなたのまわりにいる人もみんなそうしているからです。
「みんながやっているのだから正しい」と
無意識に思考しています。
そのことを疑ったことさえありません。
それほど強くそのことを信じているわけです。
 「あなたが信じることによってその現実は起きています」
と言っても、
「いや、事実は事実だ。
そう思っているからそうなっているわけではなく、
そうなっているからそう信じているのだ」と
主張したくなるでしょう。
これはどちらが先だったのでしょう? 
現実がそうだから信じたのか、
信じたから現実が起きたのか、
一体どちらが先なのでしょうか?
 これまで人はまず社会というものがあって、
その後に自分が生まれ出た、
という観点から世界を捉えていました。
その観点から見ると、
「そうなっているから信じたのだ」と思うでしょう。
そこで新しい観点の導入をしてみましょう。
視点を変えてみるということです。
この世は幻影であり、
自分がいて、
自分の内側が投影されて
外部に映し出されているという観点です。
そうすると「もっと勉強しないと立派な人になれません」
と言った親はあなたの内側にいます。
先生も、社会環境も、あなたの中にあるわけです。
ということは、
「もっと勉強しないと立派な人になれません」
と言っているのは自分以外にはいないということです。
とすると、
「信じたから現実が起きたのだ」という結論が導かれます。
 自分がそう思っているからそうなるわけです。
だったら事は簡単です。
自分の思いを変えればいいだけですから。
そこにはもうジレンマはありません。
仕方なくやる必要はなくなります。
自分のジレンマに気づいて下さい、
そこに答えが埋まっています。
仕方なくやっていることを探して下さい。
その根元にあなたの気づくべき固定観念が眠っています。
 自分の思う事が現実として現れてくるのだ。
自分は体験したい事を体験できるのだと
100%確実に知っている人は
いったいどんな思考をすると思いますか? 
自分の思いに100%責任を持っている人のことです。
 でもそうは言ってもまず先立つ物がいるし・・・、
「今のこの世ではお金がないと生きていけないじゃないか」
という考えが心の奥から浮き上がってきて、
新たな価値観を瞬間で一掃してしまう人達がたくさんいます。
でもそれは
「社会の中に後から自分が放り込まれた(外界に他人がいる)」
という観点から体験した時の、過去の記憶でしかありません。
実際はあなたの今ここでの思いが現実を創ります。
 今、あなたはあなたに与えられた大半の時間を、
より快適な生活環境を生み出すために
必要だと思っているお金を生み出すことに費やしています。
お金とは、その先にある目的のための手段でしかありません。
手段に大半の時間を割くのではなく、
目的を生み出すことにあなたの意志の力を使いませんか? 
そうすればあなたの望む現実が確実にやってきます。
 どうぞ自分の思いが
いつもどこを向いているかチェックしてみて下さい。
一日、起きている時間が16時間あるとして、
あなたは自分の望む現実を生み出すために
どのくらいの時間、思いの力を使っているでしょう。
人に良く思われようと考えている時間はどうですか? 
人に迷惑だけはかけないようにと、
どれだけ多くの時間を使っていることでしょう。
人の機嫌をとるために
時間を使うのを止めてみてはいかがでしょうか。
あなたは創造者です。
自分の生み出したいものに100%意識を向けて下さい。
時間を使って下さい。
そうしたらあなたの望む現実がやってきます。
ではどうして
こんな簡単なことがなかなか出来ないのでしょう。
現在「人に迷惑を掛けるようなことだけはしてはいけない」
という道徳的価値観が最も支持されていると思いますが、
この「人に迷惑を掛けてはいけない」という価値観から、
わがままはいけないという考えが導かれています。
現代人を最も束縛し不自由にしている共通の考え方です。
したいことをしてはいけないというジレンマが
この価値観から起きていることに気付いて下さい。
 あなたは加害者になりたくないと思っています。
自分が被害を被ったときの体験があるからです。
でも「人が人に被害を与えることは不可能」
であると伝えられました。
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2015年4月10日金曜日

あなたは何をしますか?復讐?許し?無視?


「弱い人間は復讐する。

 強い人間は許す。

 そして賢い人間は無視をする。」



いくつか例を挙げます。


いじめられた
失敗を笑われた
悪い点数をとって怒られた
嫌味を言われた
嫉妬された
大切にとっておいたお菓子を他の人に食べられた
昇進するはずだったのに他人に取られた
走行中に急に割り込まれた
・・・
・・・
・・・


さて、あなたは相手に対してどういう行動を取りますか?


反論しますか?

恨みますか?

力づくで意見しますか?

目には目を歯には歯をの復讐をしますか?

その場ではグッと堪えますか?

裏で悪口言いますか?

仲間を集めて反論しますか?


それとも


自分は知ったこっちゃないと無視しますか?

他にやることがあるし、そんなのに気を取られている暇はないと無視しますか?




復讐するということは、相手を責めることになります。
あんたが悪い!と主張することですね。

これはたぶん、双方の心の奥に傷が残ります。


ではグッとこらえて許しますか?


これができたら「強い人」ではありますが、自分だけが我慢するイメージですね。


私がおすすめするのは、、、

完全無視!


です。

いいたい奴には言わせておく!

ちょっとぐらい被害にあっても、無視無視。


「自分は今のままでも価値がある!」

自分は今のままでいい点がたくさんある!

他人から見た自分の姿にも興味が無い!

だから他人からの横槍なんて関係ありません。



夢100個を書いている方はお分かりだと思いますが、それらを実現するために今やるべきことはたくさんあります!

他人からのヤジを気にしている暇なんてありません!


今のご自分に自信を持って、ご自分を大切に每日過ごしていきましょう!

ありがとうございます。
感謝いたします。
(^_^)














2015年4月7日火曜日

ドアをノックする勇気

今日はドアをコンコンとノックする勇気があるかないか、というお話をシェアします。



















・ドアをノックしないで帰る
・ドアをノックして断られてから帰る



この2つはどちらも結果が同じ。



それならやらないよりもやってみたほうがいい!




自分も思い返せばそういうことが何度もあったような気がします。
いつもノックしないで帰っていました。




次は断られてもいいからドアをノックすることにします。(^_^)


ありがとうございます。
感謝いたします。
(^_^)







2015年4月1日水曜日

正義感の扱い方 責めるのではなくさとす



正義感が強いのは、いいことだと思います。


ただ行き過ぎると、疎まれやすくなります。

それはなぜでしょうか?



まず、正義感が出そうな場面を考えてみます。
(殺人、戦争など手に負えないことは除外します。)

・信号無視する
・電話しながら運転する
・傘をさしながら自転車を飛ばす
・紙くずを道にポイ捨てする
・電車内で老人が立っているのに自分は座っている
・列に割り込む


いかがですか?想像しただけで気分がムカムカしてきませんか?


正義感が出てきた証拠ですね。
(^_^)


でも迷惑を被る人々を思いやる優しさがあるにも関わらず、気分が悪くなるのはなぜでしょうか?(^_^;)



それは、、、



大なり小なり「人を責める」ことになるからです。



上の例のような場面に出くわしたら、あなたはどうしますか?

その人に言いますか? 責めますか?



責めても聞いてもらえるでしょうか?


たぶん、相手は拒否反応が起こって素直に聞いてはくれないでしょう。



ではどうすればいいでしょうか?





私がこのブログでよく言う「幸せになるコツ」は

・良し悪しで判断しない
・長所を伸ばす
・ワクワクすることを選ぶ

です。


責めるのではなく、「さとす」のがいいと思います。


「そうしたい気持ちもわかる。でもそれによって迷惑になる人もいる。」
「あなたの家の前にゴミをポイ捨てされたらどう思う?」
「信号無視は大事故につながる可能性もあるから避けてもらえるとありがたい。」


など、優しさを持って対応したほうが、こちらの気持ちも穏やかでいられます。

「人は説得されるのは拒否するが、納得すると行動する」



相手も自分もムカムカするような「責め言葉」はできるだけ使わないようにしたいですね。(^_-)-☆



ありがとうございます。
感謝いたします。


2015年3月31日火曜日

他人に挨拶できない子ども:強制しないで見守ってあげる




例を挙げます。












子どもが小さいころはよくあることと思いますが、他人に会って挨拶をしなかった場合にそれを強要する。

これは一般的なしつけという意味では必要なことなのかもしれません。

ですが、

・挨拶をするのが恥ずかしい
・どう挨拶したらいいかわからない
・ドキドキし過ぎて、しっかり練習したはずの挨拶がさっーと消えてしまった。

などいろんな場合が考えられるのに、それを無視してとりあえず挨拶をさせるというのは、子どもの心より世間体を重視した行為のように思えてなりません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外国で暮らして20年近くなりますが、同じことはよくあります。
(^_^;)

結婚式に行った時のことです。

ユダヤ系ではよくあるのですが、大人数(500人〜)の盛大なものでした。会場に入ると雰囲気に飲まれてしまいました。

で、初めて会う新郎新婦(主人のいとこ)に言うべき単純な言葉

「おめでとう!」

が出てこなかったんです。


大人である私が、簡単な「おめでとう」が言えなかったんです。


この時に主人に「ほら、挨拶しなさい」なんて言われていたら、益々緊張していたことでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この経験をしてから、私は子どもに挨拶を強請することを止めました。




たとえその場で挨拶ができなくても、子どもは確実に何かを感じているはずです。

言えなかった
恥ずかしかった
ドキドキした
親に怒られるかな
挨拶もできない子どもだと思われてしまった。


それなのに更に他人の前で、「どうして挨拶しないの?」などと親に言われたら、子どもは二重にショックを受けてしまいます。

神経質な子どもだったら、

・親をがっかりさせてしまった。
・期待を裏切ってしまった。
・どうしてダメなんだ。

などと自分を責めてしまうかもしれません。



子ども自身が既に「今回はできなかった」と感じているなら、もうそれでいいじゃないですか。


おとなになるまでにはきっと出来るようになります。(^_^)





だから、

小さい時に挨拶ができなくても、温かい心で見守ってあげてもいいのではないでしょうか。(^_^)


悪いところを指摘するのではなく、緊張している心を抱きしめてあげるのは、親にしかできない愛情だと思います。



ありがとうございます。
感謝しています。


2015年3月24日火曜日

私に起こった六方拝のすごい効果!

私が六方拝を行っていることは以前書きました

今日はその効果についてです。


1,東を向いて、ご先祖様、守護霊様、指導霊様に感謝。

2,西を向いて、家族、兄弟、親類に感謝。

3,南を向いて、人生の師、嫌いな人、苦手な人に感謝。

4,北を向いて、日本の方々、世界の方々、仕事仲間に感謝。

5,空を見上げて、太陽、雨、風、雪、大気など自分一人では作れないもの、命を守ってくれるものに感謝。

6,地面を見て、地球、川、山、水、土、動物、微生物など命を育んでくれるものに感謝。


をするわけですが、第三の方向では

「人生の師」と「嫌いな人」

に感謝をします。


「嫌いな人」「苦手な人」が三人ほどいたので、その方々の顔を思い浮かべながら静かにありがとうとお辞儀をしていました。


一人目:15年ほど前のことですが、私が行ったことが原因で怒らせてしまいました。悪気があったわけではないことをすぐに伝え、謝罪のメッセージを送りましたが、聞いてもらえませんでした。以来、私の悪口を周りに長期間言っていた方です。

二人目:3.11震災時に心的苦労があったのを私が全く知らずに、他の人を助けるボランティア願いをしてしまったのが原因です。彼女の事情も知らずに友人達に一斉メールを送ってしまったんですね〜。「自分のことで精一杯なのに、他の人を助けろと言ってくるなんて、非情な人間だ」と言われ、それ以来無縁でした。

三人目:8年近く疎遠になっていた方です。これも私が冗談交じりに言った言葉が気に障り、他の方に悪口を言われ続けました。


どんな状況であれ、私が行ったことが原因だったので、気になりつつも私は何もできませんでした。彼らと話したい気持ちはあっても、向こうが拒否している以上、こちらからアクションを起こすことはありませんでした。「触らぬ神に祟りなし」的に年月だけがあっという間に流れて行きました。




そんな彼らに感謝の言葉を言いました。毎日毎日です。


変な感情は込めずに淡々と「おはようございます。ありがとうございます。」と言います。





2ヶ月ほど経ちました。



一人目ととある会合でご一緒しました。


ドキッとしましたが、普通に挨拶をし、普通に話が出来ました。
ε-(´∀`*)ホッ





その後1週間ほど経った頃、今度は二人目に街で偶然会いました。

この時、「これは六方拝の効果だ!」と思いました。


普通に挨拶し、簡単な近況報告をしあい、笑顔で別れました。
ε-(´∀`*)ホッ




こうなると三人目と会うのも時間の問題だと思いました。

翌日の六方拝にも心がこもります。(^_^)





三人目の方とはどこかで偶然会うというのではありませんでした。


六方拝の効果としか考えられません。


何と!突然電話がかかってきたのです。


長年不通だったとはいえ、彼女の電話番号は登録したままでした。


彼女の名前が電話の画面に表示されたのを見て、私は神様か仏様に受話器を差し出されたような感覚でした。


「え~~!何で〜? とってもいいの〜?でも怖〜い!」


とオロオロしましたが、これも何かのお導きと思い、電話に出ました。





「今までのこと、ごめんね〜。」

という内容の電話でした。



彼女とは話したいと何年もず〜っと思っていたので、話している途中で嬉しくて嬉しくて涙が出ました。


今では三人とも普通に話ができるようになりました。

昔感じていたチクチクする感じもなく、緊張することもなく挨拶ができるようになりました。





嫌いな方、苦手な方がいるのなら、六方拝はおすすめです。

(^_^)