ニックネーム:フランスむっちゃん
名字のしもむらさん→しもむっちゃん→むっちゃんと変化したものです。中学頃からこう呼ばれています。
生年月日:ひつじ年生まれのおうし座
現住所:南フランスAix-en-Provence
趣味:弓道、パソコン、ハンドメイド
興味のあること:マクロビ、レイキ、スピ、シンクロ、こころの健康
好きな季節:プロバンスの夏。夕食が済んでもまだ明るい!!
幸せを感じるとき:夕食時に家族がそれぞれの一日を語っているとき
フランスに来たのは:1995年の秋
フランスでのホームステイ経験:10ヶ月間
フランスでの引越し回数:3回。うち家購入経験1回。
フランスでの運転歴:約27年。マニュアル、オートマ両方可能。標準免許で運転できるものならどんな大きさでもストレスなく運転できます。
フランスでの事故歴なし。交通違反歴1回。(左折禁止場所と知らずに左折した。)
フランスでの出産経験:1998年以前に2回。
リアルムッちゃんは
==お時間がありましたら、以下もどうぞお読みください。==
生い立ち:小2年までは東京立川、横浜金沢文庫、千葉の八千代台で過ごすが、その後は 定年退職した祖母と一緒に暮らすため、佐賀の塩田町(現・嬉野市)に引越し。ご近所さんみんなが同じ家族のようなお付き合いの中でのびのびと過ごす。遊び場はお寺、田んぼ、整備されていない自然の小川。
福岡への引越し:中学3年の秋、父の仕事で福岡市に引越し。田舎から一転して福岡市の中心に移ったため、見るもの聞くもの全てが真新しかった。転校先で先生に「偏差値はどれくらい?」と質問されたが、両親共に誰も答えられなかった。(それまで偏差値のない世界にいた。今考えると最高に幸せだったなぁ)
転校したのが高校受験直前の11月だったため、右も左もわからないまま制服が可愛いという理由で選んだ女子高を受験。
女子高時代:朝7時半から夕方6時まで授業がびっしり詰まった仏教系学校だったが、朝のご法話や月一回行われるご法会では為になる話が聴けて、とても満足な3年間を過ごす。(大人の話を聞くのが楽しいと思い始めた頃。)
中学までは勉強しないでも通知表にはいい数字が並んでいたが、高校では1クラス55人と大人数だったので、勉強してもトップになることはなかった。努力してもできないことがあると初めて知った。
大学:「東京に行って欲しい、実家から出たほうがいいと」切に望む両親を何とか説得し、スクーターで5分で通える地元の法学部へ進学。バブル全盛期だったため、そこそこ勉強して大手銀行に就職することもできただろうが、幸か不幸か【弓道】に出会う。毎日学校には行くが、「むっちゃんに会いたければ弓道場へ行け」と言われるほど、どっぷりとハマってしまった。お陰で法学部では「毎日同じ敷地内に入るけれど、机に座っているのを見たことがない」ということで有名になった。それでも親切な友人に助けられ、留年せずに無事卒業。(本当は留年してでも大学に長くいたかった。)
就職活動:バブル全盛期だったので家を一歩も出ることなく大手企業からのオファーがいくつも来た。就職には全然困らなかったが、それらを無視して高校の頃から憧れだった会社を受ける。結果は予想外の一次審査不合格。
でもそこで諦めることはなく、教授や友人に反対されながらもその系列会社を幾つか訪問し、一番社員が輝いている会社を選んで就職。(その後、グループ本社で不採用になった理由を聞くことができたが、国立大学の法学部なんて、頭でっかちで使いづらいということだった。大学名は見られていても、自分のことは見てもらっていなかったのだ。明らかに売り込み不足、、、。)
就職:この会社のドアを初めて開けた時の印象は、「キラキラ」。笑顔が溢れ、形だけの挨拶は一切なく、最初から本気。またあの事務所に行きたい!という直感を信じて積極的に売り込み、無事就職。その直感は的中し、会社に行くのが楽しい毎日が始まった。仕事は九州を中心に営業。人と出会って話をすることは自分に合っていると日々実感する、すばらしい時であった。
営業地域が九州全土だったため、車でぐるぐる回りながら仕事をする。社用車も大中小といろいろな車を運転。(この経験があるので、フランスに来てからも車の大きさでストレスを感じない。)
1995年秋
フランス留学:会社には何の不満もなかったが、将来のステップアップを見越して、1年だけの語学留学のつもりで渡仏。
語学学校ではゼロより少しだけ上の初心者クラスに所属。フランス語はチョチョッと覚えられるものではないと痛感する。(T_T)
渡仏後2ヶ月目にエクス仏日文化協会の遠足でフランス人による【流鏑馬】を見ることができ、この時に今のパートナーに出会う。1年の滞在期間が切れる頃に日本の会社には戻らないことを決め、フランスで家庭を持つ。
================================